Miniature Garden

お気に入りをつめこんだはこにわ

出発

去年の熱海殺人事件に引き続き、戸塚さんの舞台見てきました。
熱海〜は割とストーリーを追うのが楽ちんで、2時間ドラマのサスペンス見ているように流れに身を任せることが出来たのだけれど、今回の「出発」はなんとも複雑というか、解釈の幅が広くて何度も迷子になりながら自分の中で組み立てる、という作業をしてました。特に一幕はしがみつくのに必死!

舞台や物語に「正解」はないし、各々が解釈すればいいのだろうけど、観劇後「たのしかったね!」なんて朗らかに話しながら四条通りを歩いた翌日突然の「!」が舞い降りてしばしあーでもないこーでもないぐるぐるが始まったのがおもしろかったので書き残しておきます。以下、台詞はなんとなく、で。


突如姿を消した父親と、父親が不在の一家をめぐる物語。父の行方と動機をあれこれ皆が詮索する中、ふらりと遠出したものの帰りが遅くなり騒ぎが大きくなりすぎて帰るに帰れなくなって、実は地下室に篭っていた父親が再び家に帰るための「出発」までの物語。
すごく雑にあらすじを説明するとそんな話で、一幕では父のいない一家…母、長男、長男の嫁、次男がドタバタと大騒ぎしながら大黒柱のいない家を守りながら生活している様子が描かれ、二幕では父の失踪の真実と、その途中で長男夫婦は子どもを授かり、次男はパートナーを見つけ、それぞれ少しずつ変化していく様子が描かれていました。
どこかで「コメディ」というワードを耳にしていたのもあってか、観終わったあと「今年は喜劇でよかったね!」とそう言ったのだけれど、口にすると同時になぜか違和感が残りました。じゃり、と砂を噛んだような感覚。

お父さん、は家族の元へ帰る決意をして出発する。全てを知りながら家族は迎え入れる準備をする。お父さんはずっと家にいたのにね。世間の目、があるからね。可笑しいね。そんな終わりだったはずなのです。長男夫婦の元にはこどもが生まれて、頼りなかった次男にはかわいいお嫁さんがきて、いっきににぎやかになるねという大団円。だけれども、わたしの胸にふと残ったのは「ふきつなよかん」でした。

父親役の石丸さんが、失踪したあの日なにがあったかを語るシーンがあって、突然思い立って前々からやってみたかったこと…上野を越えて東北へ向かったこと、そこで一泊したこと、いつもはそんなことないのに寝過ごしてしまったこと、そこで見つけた校庭で遊んだこと。穏やかにぽつりぽつりと話すシーンが好きだったんですが、もう取り戻せない大事なものを愛おしむような、寂しい表情に見えたのが印象的だったのです。それは、ふと遠出したくなった理由の子どもの頃の「自由」だったり「冒険心」かもしれないし、もしかしたらもう一度会いたいと思いながら会えなくなってしまった人たちかもしれない。「いつもはそんなことないのに」とわざわざ前置きをしたのは…あのとき、どうして、あのときに限って…そんな風にも聞こえた台詞。そして「校庭にさよならを告げたんです」という台詞。

「東北」といえばイコール…と直ぐに結びつけるのは安易すぎて、どうなのだろうと思うけれど、お父さんに何かが起きて…と考えると自分の意図と反対にバラバラだったピースが繋がるように思えたのです。
そしてフラッシュバックした一つのシーン。

次男の六ちゃんがタイトルをからめたとても印象的な台詞があって、凛とした表情と声で言った「違う、出発だよ。これはお父さんの出発なんだ。お父さんを悲劇になんかしちゃいけないんだ。」
ずっと引っかかっていた「悲劇にしない」という表現。うっかり帰るタイミングを逃して我が家の地下でのらりくらりやってるお父さんはどちらかというとピエロのようで、コメディで、なのに六ちゃんが言った「悲劇にしない」は裏を返せば今のままではお父さんは悲劇のままだということ。
悲劇にしないための「出発」。お父さんが新しい場所へ向かうための「出発」。

それを踏まえた上でもう一度見たかったのですが、残念ながら二度目の機会はなかったので…なんとなく消化しきれないままですが…。たぶん人によって全く違う景色が見える……お芝居っておもしろいね!を改めて思いました。